みなさんご無沙汰しております。
3月11日の東北地方関東大震災後、部屋の片づけ、一時避難、職場での震災対応、なかなか収まらない余震、また余震に備えて一切の家具を転倒した状態での生活を余儀なくされていたのでなかなか落ち着いた時間が取れませんでした。
ツイッターではブツブツつぶやいてはいたのですが、ブログとして整理する機会もなく時間だけが過ぎてゆきました。
当初は4月11日までに大きな余震が起こらなければ水槽立ち上げを再開しようと思っていたのですが、茨城・福島県境を震源地とする震度5弱の余震で、再び延期せざるを得なくなりました。
2週間前までは余震も多かったのですが、最近は体に感じる余震も少なくなり、また緊急地震速報もほとんどでなくなってきました。明日で2ヶ月目ですが、少しずつ復活させようと行動を開始しました。
海水魚に関する震災の影響ですが、ほとんどすべての設備が被害に遭いました。
自宅のある茨城県つくば市は震度6強で、マンションの4Fに住んでいるのですが、本震後職場の異常がないことを確認したのち自宅に戻ると、これまでの災害では見たことがない惨状が目の前に現れたのでした。
玄関からダイニングまで、足の踏み場もない状態でした。
水槽由来だと思われる水漏れも発生しているうえ、キッチンでは瀬戸物が割れているのは間違いなかったので、靴のままで入りました。
水槽を置いている自分の部屋ですが、ベッドの上には本棚が分解された状態で倒れ、水槽の海水は1/3以上溢れ出し、またその海水が原因で漏電を起こしていました。
小さな動物園-震災当日
自宅に戻るまで本震1回、強い余震2回が来てましたので、段階的に被害を被ったのだと思います。
まず何よりも、自宅にいなくて良かった、という思いでした。
職場でも揺れはひどく、キャスター付の椅子に座り、机を持って踏ん張っても振り回される状態です。
自宅で落下物にあたっていたら、命はなかったかもしれません。
そう思うと、いまでもぞっとします。
被害ですが、
・LED照明(MAX-S)水没
・ドーシングポンプ2台(アクアトロニカ、Bubble-Mugnus)水没
・サンゴ、魚類ほぼ全滅
・揺れによる水あふれでアクアトロニカほか周辺機器に塩害
・試薬類の散逸
などなど、放心状態になってしまいそうな状態でした。
水槽を見ると生命力の強い魚は生きている状態でしたが、新鮮な海水が手に入らないこと、また手に入っても避難先で十分なケアができないことは周りの惨状をみれば明らかです。
また、ほかの部屋の損害状態を見たところ、今日仮に荷物を片付けてもまた余震で倒れたりして安全に生活できる状態ではないことは明確だったので、部屋の片づけはあきらめ、必要最低限のものだけを持ち出し、疎開することにしました。
まだ生きている魚やサンゴを放置して逃げるのは断腸の思いです。
しかし、自分たちの命もあります。
さらにこの時には、地震だけではなく東京電力福島第一原子力発電所の被害状況も明らかではありませんでした。
東海村の臨界事故から約10年、バケツ内部での臨界だけで半径10kmは屋内退避を強いられた記憶が頭をよぎります。
最悪の場合、ここには戻ってこられない可能性もあります。
ここはぐっとこらえて、自宅を後にし、当面の生活に必要となるものを備えに走ることにしました。

その後原発は残念ながら水素爆発で放射性物質を拡散させてしまうことになってしまいましたが、つくば市周辺は生活するには支障がなく、またライフラインも早急に回復したので4日目ごろに自宅に戻り、片付けを開始しました。
しかし正直なところ、水槽まわりの片付けを行う気分ではありませんでした。
もちろん、そのまま放置すると異臭を放つことになるので、死んでしまった生体類を水槽から取り出した上処分し、ライブロックだけでも再生を試みることにしました。一部のサンゴはまだ共肉が残っている状態でしたが、ほとんどのソフトコーラルは溶けてしまった状態でした。
一方、水道は早々に復帰したのでRO水を作り、その後一番安い人工海水でキュアリング用の海水を作りました。
小さな動物園-ライブロック
まず片方の水槽からライブロックを取り除き、もう一つの水槽に入れ、その水槽を掃除します。
掃除をしたら海水をある程度貯め、パワーヘッドを設置し適度な隙間を空けながら水槽に入れてゆきます。
もちろん、LPSの溶け残りや藻類はブラシで剥がしました。
丁度1か月キュアリングをやっているところですが、スキマーで取れるスラッジも少なくなり、海水も澄んだ状態まで戻りました。
ただし、照明はつけていない上、添加剤も加えていないため、ライブロックについた石灰燥はほとんど白化してしまいました。
ただ、MAX-SはRO水を使って洗ってみたところどうにか復活しましたし、アクアトロニカを除けば最低限の設備は問題なく使えるので、いつでも水槽は復活できる状態です。
あとはもうちょっとだけ地震の様子を探り、また夏の電力需要を考えた上で再開時期を決めたいと思っています。
さて後半ですが、改めて原点に戻ってみたいと思います。
そもそも、なぜ海水魚を飼いはじめたのか...
きっかけは2000年にオーストラリアのシドニーまで出張があったのですが、最終日の出発時間までかなり時間が余っていたため、ベイサイドにある水族館を見に行くことにしました。
もともと、動物園や水族館を見てまわるのが好きで、200円くらいで入られる市民動物園みたいなところは2週間に1回くらいは行っていました。
オーストラリは海水魚もですが、陸上の生体も独特の生態系を持っているので、余った時間は自然観察に費やすことにしました。
デジタル一眼を持って行っていたのですが、なかなか焦点を合わせるのが難しく、きれいに撮影されたものはあまりありませんでした。しかし、いわゆるミドリイシ類の展示やanemonefish(クマノミ類)コーナーなどあり、非常に興味をそそられる水族館でした。
小さな動物園-オーストラリア
実は、いわゆるカクレクマノミを見たのはこの水族館が初めてでした。
今でこそ、この写真をみればカクレクマノミで、イボハタゴイソギンチャクに入っているということは一目でわかりましたが、その時はメバルとかスズキ、サユリ、ゴチ、キス、チヌなど釣れる魚しかしらなかったので、このような鮮やかな色の魚をみたときは何とも言えない衝動にかられたのでした。
ほどなく帰国するのですが、やはり海水魚を飼いたくなり、書店に行って本をそろえ、一通り調べてみました。
一番の失敗は、始めたかった本が「熱帯魚の飼育」という本でした。
オーストラリアは南回帰線直下にある国なので熱帯なのですが、「熱帯魚」とは一般的に「淡水魚」のことを指すとは知らず、タイトルだけ見て購入してしまったのです。
自宅に戻って隅々までみても、どこにも海水魚の話は載っていません。
最後の方のQandAを見て、「カクレクマノミは海水魚です」という記述を見て、自分にあきれてしまったのも懐かしい話です。
自分の誕生日もきっかけに、まずはGEXの上部フィルター式の水槽を購入し、それでスタートすることにしました。
また、月一回から週一回へと、海水魚専門店へ足を運ぶ回数を増えてきました。
時間があるときには車日帰りで行けるところまで足を運び、いろいろと調べたものです。
数か月後には、ほんの少しのライブロックとクマノミ2匹だけだった水槽も、ここまで華やかになりました。
小さな動物園-水槽1
丁度、海水魚用の機材もラインナップが充実してきたところで、いろいろな機材を試してみました。
外部ろ過の追加、マメスキマーの追加、さらにカミハタのネオビームやLED照明ガラッシアの登場は当時としては画期的なものでした。
小さな動物園-水槽2
どんどん新しいことに挑戦したくなるのですが、この規模の水槽ではどうしても限界があります。
いまでこそバイオペレットがあるので硝酸塩などに悩む必要はありませんが、当時は硝酸塩の問題や、水質が安定しないという問題もありました。
ミドリイシを除くSPS,LPSは問題なく飼育でき、チガイウミアザミは常にパクパクしている状態で十分成功している状態だったのですが、はやり限度が見えていました。
そして、ついにオーバーフロー水槽に手をだすことにしました。
詳しくは過去の記事を見ていただくことにして、1個目のオーバーフロー水槽はここまで発展させることができました。
小さな動物園-水槽3
この後は2個目のオーバーフロー水槽の購入とか、アクアトロニカとか、ZEovitとかいろいろあるのですが、とりあえずここまでにしておきましょう。
さて、余震についてはまだ警戒する必要があるので900水槽の復活は先になりますが、以前から予定していた450キューブについては、この機会にたちあげてみることにしました。
新水槽については、またぼちぼち書いてゆきますので、お楽しみにしていてください。
色々な方からお見舞いのご連絡を頂きました。
充分な対応ができず失礼なこともあったかと思いますが、今後ともおつきあいいただければ幸いです。
これまで見られなかったみなさんのブログも、2か月分ちゃんと拝見する予定です。
よろしくお願いいたします。